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野馬追文庫(南相馬への支援)八

山内薫(墨田区立あずま図書館)

  Sさんが活動に参加して下さることになる

 本宮市のYさんが産休を取ることになった。YさんからKさんに届いた手紙には次のような決断が記されていた。

「・・・三年前にやっと(!?)結婚し、早く二人の子どもをと思っていましたが、昨年の原発事故で、一度は子どもを一生持つことは叶わないのではないか、この福島で子どもを持つということに問題はないのかとすごく悩みました。夫婦間で何度も話し合い、何度涙したか分かりませんでした。多分この様な気持ちはあの時福島に住んでいた人たちなら誰しも考えたことではないでしょうか。そして、今年になり、子どもが授かったことを知るにつけ、ここで産まれて育っていくことを選んでくれた命があるなら、それを受け止めて育てていこうと心を決めました。今も全く不安がないわけではありません。今後三〇年いや半世紀以上、原発事故による放射線の影響が残る福島で、子どもを育てていくことは子どもの心身の健康にどう影響が出るか、人類は明確な答えをだせないのですから。でも、前を向いて生きていくしかありません……。子どもたちに良い本を与えることが、何よりのことだと思います。大人が子どもにしてあげられる数少ないことの一つだと私も信じています。どうか少しずつでよいのでこの支援(野馬追文庫)が、息の長いものであって欲しいと心から願っております。私も私しか守ってあげられない命を育んでいくことに、今は全力を尽くしたいと思います。・・・」

 そこで、Yさんの代わりに以前から福島の現状を知らせて下さっていた、福島県立図書館のSさんが野馬追文庫の活動に加わって下さることになった。Sさんは現在県立図書館の協力車で被災地の図書館を回ったり、仮設住宅への支援を仕事としている。我々の「県立の戻られて県内の図書館を巡回する仕事になったSさんに加わって頂ければ、鬼に金棒と思うのですが、いかがでしょうか?」というお誘いを快く受けて下さった。

 引き受けて下さったSさんからは次のようなメールを頂いた。

「昨日(六月十二日)は、県内の司書の集まりがあり、新地、相馬、南相馬の方たちのお話を聞くことができました。
 南相馬市のHさんは、「仮設住宅は、深刻だ」と繰り返し言っていました。ちょうどその日の朝刊には南相馬市の仮設住宅で生活している人が一時帰宅したときに自殺したという記事が掲載されていました。先月末にも、浪江の人が一時帰宅したときに亡くなったそうです。『3・11後を生きるきみたちへ』にも書かれていましたが、福島の人の心情は、複雑です。生きがいを失った人がたくさんいます。病んでくる大人もいます。
 南相馬市の図書館では、以前の半数の職員でやっているそうです。仮設までは手が回らないと言っていました。新地の司書も、南相馬のHさんも、仮設にこもらず、外に出てきてほしいと言っていました。しかし、高齢者には移動手段がないという問題があります。九日には、避難先の三春町と南相馬市の病院を結ぶ送迎車が事故に遭い、高齢者が五人亡くなりました。送迎車での往復の車中が、高齢者たちのコミュニケーションの場だったのではないかという報道もありました。
 とにかく、私は、自分の仕事を精一杯やろうと思います。明日は、協力車で新地、相馬、南相馬の図書館に行ってきます。その帰りに医大と福島大学の図書館を巡回します。原発事故で放射性物質が比較的多く降った山々を通ります。本当に、以前と変わりない、美しい自然の風景です。」

 また野馬追文庫に関しては

「私も、Yさんのように、福島の子どもたちには、楽しい本、声を出して笑えるような本を届けてほしいと思います。それと、生きるためのたくさんの知恵や勇気、人のやさしさや強さがつまった昔話を。もちろん、人のおろかさも、ですが。昔話は、語ってくれたり、読んでくれたりする大人がいたらいいな、と思います。本のままでは、子どもに届きにくいように思います。県立図書館でも仮設住宅の支援を行っています。現在、福島市内5か所から要望があります。これから本を選ぶところです。
ただ、地域によっては、図書館が仮設住宅への移動図書館の運行を検討しているところがあったり、仮設住宅と図書館の間を、巡回バスでつなごうとしているところもあります。子どもも心配ですが、高齢者も心配です。」と現状を報告して下さった。

IBBYロンドン大会でのKさんのプレゼンテーション

 Kさんの活動母体JBBY(日本児童図書評議会)の親組織であるIBBY(国際児童図書評議会)の世界大会が二〇一二年八月にロンドンで開かれた。その一つのセッションでKさんが野馬追文庫のことにも触れてプレゼンテーションを行った。

「二五日朝八時からのEiary Bird セッションという時間帯にJBBY全体五〇分、私は一〇分ほど時間をいただいて、布の絵本や点字絵本などを含んだ図書を届けている「だいじょうぶだよ」のことと、「野馬追文庫」の報告をさせてもらいました。福島のことを五分ほどという時間の中で、海外の人に「状況を正しく」そして野馬追文庫がどういう支援なのかをつたえることはむずかいしいことで、苦しんでプレゼン用意しました。」

 その時の原稿は「To the Children of Fukushima, and for Children with Special Needs 」という題でその日本語訳は次のようなもの。

「JBBYが現在行っている特別なニードを持つ子どもたちへの支援について二つの取り組みを報告したい。

 ひとつは、daijoubudayo”package(smile and carry on package)と呼んでいるものです。「だいじょうぶだよ」とは子どもが不安におびえているときに、かけることば。心配しなくていいよ、私たちがそばにいるよというような意味です。

 被災直後の幼い子どもたちは、おびえがつよく、人へのしがみつき、後追いが強く見られました。本を読むようなエネルギーはなく、遊びですら一つの遊びが長く続かない様子が見られました。人にそばにいてほしい。本とともに人が一緒にいてくれるような、人と一緒に楽しめる本を震災から間がない時は選書して届けました。日本には、心のケアに素晴らしい力のある本があります。日本の誇る子どもの文化の一つである布の絵本です。布の絵本には本の力(ブックセラピー)と遊びの力(プレイセラピー)の両方が兼ね備わっています。子どもの心の苦しさの表出と回復に、遊びは大事な役割を果たします。この布の絵本の力を、JBBYは一〇年間開催してきた世界のバリアフリー絵本展示会を通じて実感してきていましたから、すぐに支援に結びつけました。(これらの本は手作りですので、ひとつひとつ作成には大変な手間と時間がかかりますが、現在まで五〇〇点以上、被災地の子どもたちに届けることができました。)

 この絵は、被災して一〇日ぐらい、原発の事故後、家を離れ、避難所で暮らしていた、四、五歳くらいの女の子が描いた絵です。遊びのコーナーで、もくもくと絵を描き、はじめこのような絵でした。その近くで、私はこの布絵本を使って、子どもたちと歌を歌っていました。こんなふうに…。
♪ 数字の一は、なあに? 工場の煙突 もくもく 
  数字の二は なあに? お池のアヒル があがあ

 周りの子どもたちが、私も私もと加わり、そして彼女もおずおずと参加してきました。二回ぐらい一緒に歌いながらこの絵本を楽しんだ後、彼女はさっき描いていた絵に色をつけ始めました。そして次に描いた絵は、こんなふうに変わっていました。

 被災児の中に、必ず障害のある子ども、震災前も特別なケアを必要とする状態の子どもたちがいます。被災地の子どものことを考えるとき、必ずその子どもたちのことも忘れてはいけないと思いました。それはIBBYのメンバーとして、IBBY障害児図書資料センターの活動をJBBYの中で責任者としてやってきた私の使命とも思いました。

 肢体不自由の子どもたちには、めくりやすく、自分の力で引っ張ったり操作がしやすいように工夫した手作りの作品を。見えない・見えにくい子どもたちには、触る絵本や点訳絵本・拡大図書・音の出る遊具などを届けました。自閉症の子どもたちには、車や電車が大好きな子どもたちが多いので、そんな本や遊具を選びました。福島の地で、放射線の影響で外で遊べない子どもたちのためには、少しからだを動かして楽しめるような作品や、紙芝居などみんなで楽しめるような本を届けました。こんなふうに、一か所一か所届ける本の内容は違っています。何よりも長引く避難生活・仮の生活の中で、彼らを支える家族の疲弊は大きく、そんな中で、子どもの笑顔が、なにより周囲の大人をも励ましました。

 次に、福島の子どもたちへの支援について報告します。野馬追文庫といいます。

 南相馬市という地域、ここは地震と津波の被害と放射線被害を受けた三重苦の地域です。そこの人々の生活を見続けて、そこに今住んでいる子どもたちに、毎月震災が起きた日と同じ一一日に本を届けています。その小さな図書コーナーを野馬追文庫と名付けています。野馬追というのは、この地域の伝統的なお祭りの名前です。

 現在、南相馬市内の子どもの半数はこの町から転居しています。父親だけが仕事の関係で南相馬に残り、お母さんと子どもたちは別の場所で暮らすという、家族が離れ離れになっている場合も多い一方で、半数の子どもたちはこの地で生活を続けています。

 震災直後の四月、五月当時は、この地域の避難所には食べ物などの支援物資すら容易に届けることはできませんでした。私たちの本も当時避難所を回る小児科のドクターに託しました。当初は先に述べた<だいじいうぶだよ>と同様に、人と楽しめて、人がそばにいてくれるような本、布の絵本などを届けました。今は、「元気になれるような、思わず笑っちゃうような楽しいお話を届けてほしい」これが現地からの一番の要望です。

 仮設住宅には、高齢者もたくさん住んでいます。日本に伝わる昔話をよく選びます。昔話には異界の力がよく登場します。現実にどうあがいても解決されない、今自分たちが抱える問題の中で、異界の力に希望を感じるのかもしれません。

 福島の人たちに支援で何を今一番希望するかと問うと、とにかく私たちを忘れないでいてほしいという答えが帰ってきます。ささやかなことですが、一一日に必ず毎月本を届けること。忘れないよということが私たちからの一番のメッセージです。

 Yさんという一人の福島の図書館員が野馬追文庫に協力してくれています。彼女はJBBYのメンバーでもあります。彼女は震災の五日後にこんなメールをくれていました。

「今、現在進行中の原発事故は現場から五〇キロ離れたここでもまさに「戦場」にいるような心境です。・・・日々続く不安と恐怖、そして余震が続くため、不眠が続き、自分自身どうしたらよいかわかりません」

 一年後に彼女はこの時のことをこんな風に言っています。

「私は一年前のあの震災のときにふとグリム童話の「忠臣ヨハネス」というお話しが頭をよぎりました。あの未曾有の震災の中にいて、あの話を思い出すことができて、私自身が、人間としての尊厳を守ることができたのではないかと今になると振り返ることができます。人間は、苦悩の中にあるとつい憎しみや恐怖で我を忘れてしまいますが、困難をあえて引き受ける覚悟を持つことが必要だと忠臣ヨハネスは私に言ってくれたような気がします。このような経験からも、私は自然に物語の中にある力を自分の生きる糧にできると考えています。」

 そして今彼女は新しい命を宿しました。その彼女からのメッセージです。

「・・・昨年の原発事故で、一度は子どもを一生持つことは叶わないのではないか、この福島で子どもを持つということに問題はないのかとすごく悩みました。夫婦間で何度も話し合い、何度涙したか分かりませんでした。そして、今年になり、子どもが授かったことを知るにつけ、ここで産まれて育っていくことを選んでくれた命があるなら、それを受け止めて育てていこうと心を決めました。今も全く不安がないわけではありません。でも、前を向いて生きていくしかありません・“・一子どもたちに良い本を与えることが、何よりのことだと思います。大人が子どもにしてあげられる数少ないことの一つだと私も信じています。どうか少しずつでよいのでこの支援(野馬追文庫)が、息の長いものであって欲しいと心から願っております。私も私しか守ってあげられない命を育んでいくことに、今は全力を尽くしたいと思います。・・・」
 IBBYのみなさま、JBBYは今、人類が体験したことのない課題に立ち向かっています。どうぞ私たちを支えてください。」

 Kさんは帰国後次のように述べている。

「今、私の中でYさんの声ほど、福島の状況、福島の人たちの気持ち、そして、本の力を信じてくださっているメッセージを伝えられるものはなかったので。大会にはJBBY関係者以外の日本人の参加も多く、むしろJBBYや<あしたの本>の「仲間」よりも、それらの日本人の皆さんの受け止めが温かかった。特に図書館員の方たちには、柳沼さんの気持ちとてもひびいたようです。図書館員として応援したい仲間意識が強いんでしょうね。何人かは涙を流して聞いてくれました。海外の人たちも中に涙を見せてくださる人もいましたが、どれくらい日本の人のように状況をつかみ受け止めてくださったかまでは私の語学力ではつかめなくて、朝日の記者などに感想つかんでくださいと託して帰ってきました。」

高知こどもの図書館の協力

 Kさんから次のようなメールが届いた。「高知こどもの図書館の古川館長に協力をおねがいして「野馬追文庫にあなたが贈りたい子どもの本1冊」を集めてもらうことにしました。本に自分でシールを貼ってもらいメッセージカードをつけてもらいます。どのくらい集まるかはやってみないとわかりません。古川さんはクリスマスの本なども呼びかけてみたいとおしゃってくれています。」

 高知こどもの図書館は Kさんが中心となって行っているJBBYの世界バリアフリー絵本展を何度か開催しているNPOの図書館で、Kさんもこの図書館の会員になっていることから呼び掛けたのだった。高知こどもの図書館のホームページには下記のような呼びかけが載っている。

「『野馬追文庫活動』にご協力下さい。
 南相馬市の三四仮設住宅に毎月一一日、本を贈る活動にNPO法人高知こどもの図書館は協力することにいたしました。
 仮設住宅の子どもたちが笑顔になるよう思いを込めた本を一冊で構いません。こどもの図書館にお届けください。お預かりした本は「野馬追文庫活動」の事務局にこどもの図書館から責任を持って送ります。
 不要な本ではなく、贈り物となる本をどうぞよろしくお願いいたします。よろしければその際、送料として一〇〇円お預かりさせていただけると助かります。
 南相馬市という地域、ここは地震と津波の被害と放射線被害を受けた三重苦の地域です。
 南相馬市は、現在年間二〇ミリシーベルト以下の「避難指示解除準備区域」、年間二〇ミリシ-ベルト超五〇ミリシーベルト以下の「居住制限区域」、年間五〇ミリシーベルト超の「帰還困難区域」の三つに現在区分されています。
 そこの人々の生活を見続けて、そこに今住んでいる子どもたちに、毎月震災が起きた日と同じ一一日本を届けます。
 野馬追というのは、地域の伝統的なお祭りの名前です。」

 この活動は早速地元の新聞でも取り上げられた。

 高知新聞二〇一二年一一月二八日の記事
「 高知から南相馬に絵本を
『こどもの図書館』呼び掛け 一冊にメッセージ添えて
 高知市永国寺町の高知こどもの図書館(古川佳代子館長)が、福島県南相馬市の仮設住宅で暮らす子どもたちへ絵本を贈る活動を進めている。絵本は、県民から寄せられた「思いのこもった一冊」。同館は「仮設住宅がなくなるまで送り続けたい」としており、絵本の提供を呼び掛けている。(横山仁美)
 同館の活動は、日本国際児童図書評議会(JBBI)などが毎月一一日、同市内三四カ所に数冊ずつ送っている活動「野馬追文庫」=事務局、東京都=に協力するもの。
 きっかけは同事務局を努める撹上(かくあげ)久子さん=埼玉県=が、高知こどもの図書館会員でもあったこと。
 今夏、「取り組みを広げたい」との撹上さんの依頼を、「原発事故の影響などで、仮設住宅がなくなるまで長い時間がかかる。『忘れていないよ』と伝え続けたい」(古川館長)と快諾。全国の図書館ではじめて協力することになった。
 提供を呼び掛けているのは、長年大切に読んできた絵本、子どもの時に大好きだった絵本。一人一冊でかまいません。どうしてこの本なのか、メッセージを添えてもらえたら」と古川館長。同館利用者らに訴え、これまでに二〇冊を贈った。
 本は同館へ持参を。毎月末に締め切って贈る。送料一〇〇円の寄付も同時に募っている。問い合わせは同館(〇八八・八二〇・八二五〇)まで。」

 高知こどもの図書館からは一一月一日付の『さむがりやのサンタ』(レイモンド・ブリッグス作・絵 すがはらひろくに訳 福音館書店)などクリスマスの本を中心とした一七冊の南相馬市送付本リストが届いた。これらの本は一二月に贈る本と一緒に野馬追文庫として贈られることになった。 

 なお、九月には、紙芝居『うまいものやま』(佐々木悦作 箕田源二郎絵 童心社)とまどみちおの詩集『てんぷらぴりぴり』大日本図書、一〇月には『三びきのやぎのがらがらどん』(マーシャ・ブラウン作・絵 福音館書店)と『おだんごぱん』(ロシア民話 せたていじ訳 わきたかず絵 福音館書店)、一一月には『おおきなおおきなおいも』(市村久子作 赤羽末吉絵 福音館書店)、一二月には『イソップのお話』(イソップ 著  河野与一訳 岩波書店)と高知こどもの図書館から送られた絵本を送付した。


横浜漢点字羽化の会発行「うか」に連載