ここから読み上げブラウザ用のメニューです ニュースへジャンプします おしらせへジャンプします メインメニューへジャンプします 読み上げブラウザ用のメニューの終わりです
ここからメインメニューです

野馬追文庫(南相馬への支援)十一

山内薫(墨田区立あずま図書館)

南相馬へ(三)

  南相馬訪問から帰ってきて強く感じたのは「仮設住宅に本があるということだけではなく人的な支援も必要ではないか」ということだった。南相馬図書館の友の会などと協力して定期的な人的支援を考えられないかと思った。この感想に対して大阪のTさんも「私も、今朝、南相馬での子どもたちのこと、本のことを思い返していました。私が抱いた率直な感想を、みなさんの御苦労の中で、言わせていただくなら、五〇ヶ所にもなるであろう仮設住宅に一律の本を、今後も送って行かれるのだろうか?そこにいる子どもに、丁寧に渡すことはできないのだろうか、ということでした。定期的に人がまわって行けば、そこに必要な、あるいは、生きる本が選べるのではないかと思います。定期的な訪問が、埼玉とか、仙台とか、大阪とかから、人が少しずつ出ていくことも全く可能性のないことではないなと思うのですが。帰りのバスは、旅程の半分くらいまで、運転手さんと二人きり、あれこれ、お話しをしました。震災で仕事を失ないバスの運転手になられたそうです。家の両隣は、子どものために避難されて空き家になっているけれど、何より大事なのは、子どもたちの幸せな将来だと話しておられました。」

 Kさんからは下記のようなメールが届いた。

「二回の南相馬での支援を終えました。もう頭も心も満杯状態です。今回の原町牛越仮設住宅は、子どもの多いところで野馬追文庫の本が、今までの中では一番活用していただいている気配がありました。野馬追文庫以外の本は少ない状態でした。山内さんたちと別れたあと、生活相談員のお二人にくっついて二軒の戸別訪問に同行させてもらいました。第四集会所対象の住宅は要介護支援の方たちばかりが住んでおられ、玄関に一軒一軒警報器がついていました。視覚障害の女性と男性のお話を伺うことができました。女性の方は大変な読書家でいらして、震災後数日間動けずにいらして助け出されるまで、あとこの残りの飲み水がなくなってしまったら・・・・・・というそのギリギリのところで五味川純平の『戦争と人間』の一節が思い浮かび、その極限状態に比べれば自分はまだ頑張れると、がんばったと言っておられて・・・・・・。国会図書館や福島点字図書館の本は読み尽くしてしまったとおっしゃっておられました。本が読みたい読みたい、本はいいよいいよと言っておられて五木寛之・司馬遼太郎・宮尾登美子など、歴史もの、ミステリーものなど、人間の心の深いところを描いているような作品を読みこなしておられました。男性の方は墨田区で住んでいたこともあるということでした。本はあまり好きでなくラジオで歌を聴くのが楽しみなようでした。家にずっと閉じこもっているようで、新潟の三条市から最近この仮設に移ってきたようですが夏中ずっと家にいてクーラーの中だったので、暑かったことは感じず、ずっと長袖で半袖を着なかったと言っておられました。昼食の時に見つけたチラシ「ちゅーりっぷ文庫」のWさんに前夜連絡を取ってみました。副館長のHさんも図書館のおはなし会に入ってる文庫さんだが仮設の支援ができる余裕があるかなぁ?と言っておられました。Wさんは自宅で文庫を開いていて出かける余裕はありそうでした。仮設には既におはなし会の支援が入っていると聞いていましたと、機会があれば、近くの仮設に出向いたりすることは可能なようなお話でした。山内さんの言う、「人的支援」焦らずに、でもそれこそが本当に大事なことでひとつひとつ進めていきましょう。」

 県立図書館のSさんからも

「相手の状況に合わせて、厳選した本を手渡しするということが、大切なのだと感じています。野馬追文庫では、それができているのだと思いました。本を読みたいという人もいれば、本どころではないという人もいます。帰ることを決めた自治体では、補償金を打ち切られるという話も聞きました。福島では地域や自治体によって、状況が異なります。避難してきた方々を受け入れている自治体の図書館も、避難してきた方々へのサービスについて考えています。仮設住宅への移動図書館を検討している図書館もあります。また、仮設住宅にこもりっきりにならないように、「図書館へきてください」と呼びかけをはじめた図書館もあります。まだまだ、これからなので、私も息切れしないようにがんばりたいと思っています。」
という報告を頂いた。

 ところで私たちの訪問が地元の新聞「福島民報」の二〇一二年一一月二六日「仮設住宅だより」に写真入りで報じられた。
  「読み聞かせ、工作楽しむ 南相馬・牛越 児童書寄贈の二人訪問」
 南相馬市の各仮設住宅に「野馬追文庫」として児童書の寄贈を続ける埼玉県の臨床心理士撹上久子さん(五八)と、東京都墨田区立あずま図書館の山内薫さん(六三)は二十三日、同市原町区の牛越仮設住宅第二集会所で読み聞かせを行った。
 日本国際児童図書評議会や日本ペンクラブなどでつくる「子どもたちへ あしたの本プロジェクト」の主催。撹上さんと山内さんは昨年八月に市内の仮設住宅十八カ所に各十冊ずつ児童書を贈った。現在は市や市社会福祉協議会と連携し、毎月十一日に市内の各仮設住宅に二冊ずつ児童書を届け、息の長い支援を続ける。
 読み聞かせでは絵本「おおきなおおきなおいも」を一枚の紙に再現した「巻紙芝居」を披露した。多くの住民が訪れ、松ぼっくりを利用した工作や折り紙などを楽しんだ。

 新聞社の取材では、翌年三月に高知こどもの図書館の野間追文庫支援について朝日新聞高知版がかなり大きく取り上げた。
  高知からつながる 震災二年(下)高知こどもの図書館
  「笑顔の時を 絵本定期便 寄付募り被災地に七〇〇冊」
 三月二日、高知こどもの図書館(高知市)のF館長は、図書館のカウンター近くで絵本を一冊一冊段ボール箱に詰めていた。「おおかみと七ひきのこやぎ」「おちゃのじかんにきたとら」「こすずめのぼうけん」……。ぜんぶで三五冊。東京経由で福島県南相馬市に届けられる。

 「絵本を開いて閉じるまでの一〇分間は色々なところに冒険に行けて、ワクワクできる。子どもたちに絵本を通して笑顔になってほしい」との願いを込める。
 毎月一回、東日本大震災が発生したのと同じ一一日に、南相馬市の仮設住宅三四カ所の集会所に絵本を贈る「野馬追文庫」プロジェクトだ。日本国際児童図書評議会(東京)など四団体の主催で、高知こどもの図書館は昨年秋から加わっている。

 東日本大震災が起きたとき、図書館としてなにができるだろう、と考え、発生翌月にはカウンターの脇に「被災地の子どもたちへ絵本を届けよう」と書いた箱を置いた。同じことを考えた東京の絵本専門店を通して、福島や宮城、岩手の小学校や保育所に贈ったのが最初。その後野馬追文庫を通じて送った本と合わせ、高知からの寄贈は約七〇〇冊にのぼる。

 「だっこ」(アリス館)は、F館長自らが購入してまで読んでほしかった本だ。
 ページをめくるたび、お母さんに抱っこされたパンダの赤ちゃん、ペンギンの赤ちゃん、ゴリラの赤ちゃん、ゾウの赤ちゃん……の写真が出てくる。みんなとっても幸せそうだ。」思わず『かわいい』と口に出してしまうでしょ。読み終わったら子どもを抱きしめてあげて。あったかい気持ちになれると思う」

 いの町のフリーデザイナー有光さやかさん(四五)はインターネットでこの活動を知り、今冬、娘二人に読み聞かせてきた二〇~三〇冊の絵本を寄贈した。次女モエさん(一五)と一冊ずつ手にとりながら選んだ。この本は落書きがあるからやめておこうか、この本は覚えるぐらい何回も読んだね……。話は尽きなかった。「いい時間が過ごせました。」と言う。

 『思い出が詰まっていて離れがたくもあったけど、娘たちは絵本の中の冒険や夢を糧にして成長してきた。誰かの心の栄養になってもらえたらうれしい」
 絵本はまず南相馬市社会福祉協議会のRさん(五五)のもとに送られ、Rさんらによって仮設住宅の集会所に届けられる。子どもたちが何人かで一冊の絵本を読んだり、一人で真剣な表情で読んだりする姿を見てきた。

 「立派な図鑑や季節に合った絵本など、毎回いろいろな種類があり、今月はどんな本が届くのか楽しみにしているんです」本が届く一一日ごろに集会所をのぞきに来る子どももいるという。仮設住宅には、異なる地域から来た子どもたちもいる。「集会所に絵本があることで共通の話題が生まれる、本を通して友達になっているようです」

 高知こどもの図書館に最近集まるのはひと月に二〇冊ほど。震災直後には約五〇冊が寄せられたこともあったが、F館長は「それでも毎月絵本を持ってきてくれる人がいる。被災地を忘れていないという気持ちの表れだと思うのです。冊数は少なくても、プレゼントしたいと思う本を、地道に贈り続けていきます」と誓う。(浦島千佳)(朝日新聞高知版二〇一三年三月一三日)

 この記事に対してKさんは次のような感想を送って下さった。

「私にもこの記事の前に取材があり、結構長くいろいろとお話をさせてもらいました。ちょうど三月一一日のことで、色々と思うことがありました。批判とかこの記者さんを責めているとかということでなく、これからの私の話を読んでください。
 私は、世界のバリアフリー絵本展で、何度も何度もメディアの取材には慣れています。ある程度の編集や方向性を前提の報道に慣れています。ただ、それは絵本展とかなら自分でもゆずれるものだったんだと思いました。震災という悲惨な体験、自分の心もいっぱい痛めながら被災したみなさんのこころのすごく痛いところにまなざしを向けている場合、同じようなことでも、自分自身が敏感になってしまって、ふだんなら受け入れられることでも、受け入れられなくなっている自分に時々気付かされることがあります。
 今回もそんな気分に襲われました。この記者さんは、絵本にどんな力があるのかを知りたい、と盛んに子どもたちの様子を知りたがりました。お話会で子どもたちの表情はどうでしたか?どんな本をよろこぶのですか?子どもたちは目を輝かして聞いてるのですか?よろこんでいるのですか?彼女は本を送ることの答えを用意していて、それに合わせてコメントを探しているようで、私はちょっとそれに抗議してしまいました。
 私は自分たちの送った本が子どもたちに何か力になってるのか、お話会で読んだからすぐに子どもたちをはげますのか、そんなことはわからない。特に福島という人類が体験したことのない状況の中の子どもたちに本がどんな力をはたしてくれるのか、わからないでいます。でも本の力に期待して信じてはいる。子どもたちの姿を、自分たちの答えに、自分の物語にはめこんでほしくない。野馬追の支援は、「本」を送っているのではない。気持ちを送っている。それをわかってほしかったなあ・・・・・・。彼女は若い真面目な記者さんに過ぎず、彼女に何かうらみがあるわけではありません。Rさんもその期待に沿って答えてくださったんでしょうね・・・・・・。震災関連の報道の感動的なお話の多くは似たような力が働いていると疑っています。でもでもテレビを見て、新聞や本を読むと、涙が止まらない自分もいるのですから、勝手ですよね。メディアが報じてくれなくなったら、やっぱりみんなだんだん忘れてしまうでしょう。悔しいけれど、メディアのこの姿勢はきっとこれからも変わることなくくりひろげられていくのでしょうね。
 三月一一日私は昨年に続いて、新聞を四紙購入してみました。昨日、実家の長野に行ったので、信濃毎日新聞という地方紙が見れますので、三月一一日のものを見ましたら、一面ではあっても震災の記事は小さく、ほかの紙面の特集もわずかでした。高知はじめ東日本から離れたところはきっとこんな感じなのかなあ。東京版などは数日前からかなり特集が組まれたり(一一日以後はぐっとまた減ってしまいましたね)はしていましたものね。
 最後に前回、発送作業を手伝ってくださったジネットの相馬出身のZさんという方が手紙をくださいました。その中の1節から。
『・・・・・・テレビ等をみていると、現地の方々から「東北を忘れないで欲しい」というメッセージがよく流れてきます。私たちは決して忘れてはいないのです。気になっているのです。が、今どんな形で協力したら良いのかがわからないのです。カンパをしたり、東北のものを買ったりそんなことは出来ますが、それ以外の活動となるとなかなか難しいものです。現地との連絡が密に取れ、現地の要望に応じた地道な活動に少しでもいいから協力したいと思っておりました・・・・・・。』
 Zさんの率直な物言い、きっと多くの人も同じ気持ちでいると思います!小さな窓口でも、南相馬でこの支援を受け入れてくださっている方々がいることに感謝しながら、初めにWさんが思ったように、南相馬を見つめてくことが、日本の再生を見つめていくことだと思っています。」

 このメールに対してSさんからも次のようなメールが届いた。

「Kさんの、『子どもたちの姿を、自分たちの答えに、自分の物語にはめこんでほしくない。』『震災関連の報道の感動的なお話の多くは似たような力が働いていると疑っています。』という言葉に納得しました。一部のマスコミの本質だと思います。先日、避難区域の方から、東海地方のTV局から新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」についてのアンケートがきたとお知らせいただきました。これは大人向けのアンケートのようですが、「福島県の人々は、震災・原発事故を経験し、今、南吉童話をどう感じられているか。特に代表作「でんでんむしの悲しみ」を今、どうお感じになられるか。」という内容です。彼女はアンケートに答えたところ、電話がかかってきて、「新美南吉は今、それほど読みたいと思えない」と遠回しに答えたにもかかわらず、「でんでんむしのかなしみ」について、ほしいコメントを求めたそうです。福島県人に対してのお心配りは本当にありがたく思っているのですが、「福島の人はこう思うはずだ」という思いこみには、悲しくなります。「東北を忘れないでほしい」と、私も思います。被災地のことを思い続けてくださっている方々には、本当に感謝しています。私は、「応援してください」、「たすけてください」という声を、待っていていただきたいと思っています。福島では、とても長い年月、原発事故と向き合わなければなりません。必要なときに、手をさしのべていただけるのが、いちばんうれしいことだと思います。そのときを、待っていてほしいと思っています。被災地以外のみなさんが、原発事故の悲惨さを忘れないでいてくれることが、私は、なによりうれしいです。」